vol.8中村 光恵Mitsue Nakamura|エディター
好きです。直接的な灯りというのは常に機能があって作られるものだと思いますが、間接照明は何かを介して灯りが存在し、そのことで伝えているものがあるように感じます。私は街の灯りがすごく好きなのですが、その理由はそこに灯りがあることで間接的に人がいることを伝えてくれるから。建築も同じで、空間を通して伝わってくる何かがあります。機能的な使いやすさももちろん重要なのですが、それ以上に建築を介することによって人が感じ取ることができる、そんな間接的に建築がもつ意味も大切にしたい。私はそういった目に見えない事象を、自分が体験した建築から伝えられたらと思っていて、それがメディアの役割でもあると感じているので、そういう意味で間接照明には親近感を覚えています。
それは大学生の頃、ルイス・カーンとフランク・ロイド・ライトの建築を巡るツアーに参加した時のことでした。それまで照明というものに意識を持ったことがなくて、建築を灯りという視点で捉えたことがなかったんです。けれど、キンベル美術館に足を踏み入れて、間接的な照明によってふわっと包み込まれるような空間を体験した時に、「こんなにも空間と灯りが感動を与えてくれるものなんだ」と衝撃を覚えました。それから、同じツアーでシカゴのジョン・ハンコック・センターという高層ビルのバーに行き、そこから街を一望しました。シカゴの街というのは遠くの地平線まできれいにグリッドが敷かれていて、そこにいろんな灯りのゆらぎが見えて美しい光景が広がっていました。街の灯り自体には、直接照明も間接照明も混じっていたのでしょうが、それが人に見えたというか…。「ああ、ここにこれだけの人がいて、この灯りの下にはどんな人の生活があるのだろうか」と、人がそこで生きていることの証を感じられる気がして、とても感動しました。その建築ツアーで見た二つの間接照明の光景が忘れられません。当時大学4年生だったのですが、同級生達は建築がどう作られるのかを見ていたのですが、自分は「建築家は何を考えてこの建物を作ったのだろう」と考えながら建物を見ていることに気がついて。そこで作り手ではなく伝い手として建築と関わりたいと考え、メディアの道に進むことを決意したのです。
建築写真で灯りを撮影する難しさを日々痛感しています。特に夕方に日が落ちて夜になるまでのほんの1時間程度の間は、刻々と光が変わっていくのでそれを捉えるのは至難の業。昼間は外側が建築の主体として見えてきますが、だんだん日が落ちてくると内側が明るく照らされて、ちょうど外部と内部が等価になる時間帯があるんです。私はその時間帯が一番好きで、いつもその一瞬を切り取りたいと思うのですが、光は実態がないのでその時自分達が見ている状態を切り取るのが本当に難しくて、なかなか上手くいきません。建築にもよりますが、夜になると灯りが人の動きを外部に照らし出し、その場所の奥行きや、人びとの動きを映し出してくれます。それが、周辺環境も含めた外部空間と共に見える瞬間が、建築を伝えるひとつの重要なシーンだと思っています。そういう意味で灯りの存在の大きさを感じながら、その一瞬をどうやって切り取ろうか、と考えたりしています。
間接照明を空間に取入れる時、建築に組み込んでいくので緻密なディテールが発生します。ですから、間接照明を取入れた建築では、その辺りをよく観察するようにしています。建築は単体では存在し得ないもので、構造にしても設備にしてもそれらをどう扱うかによって、空間に変化をもたらします。そうやって建築を見ているところがあるのですが、照明も建築にとっての構造や設備のように必要不可欠なものとして、それがあることによって空間が大きく変わるような、そんな構成要素となると、また新しい展開が生まれるのではないかと思っています。
(下記の誌面は、中村光恵さんが、『新建築 住宅特集』の編集長として、リニューアルを手掛けた際のページを抜粋。)
今後は光をテーマにした企画を実現してみたいです。「光だからきれいでしょ?」というアプローチではなく、建築にどう組み込まれていて、どんな意味があるのかをきちんと伝えていけたらよいですね。最近ある茶席に呼ばれまして、そこで印象的な灯りの体験をしました。建築家のPOINT長岡勉さんが設計した”SAHAN”という”茶室で、茶席では部屋の灯りを落として、床の間の間接照明だけが照らされました。灯りというのは明るすぎると周囲の余計な情報が入ってくるし、真っ暗だと不安になります。床の間の間接照明は、掛け軸と花を少しだけ照らす灯りだったのですが、お点前とお茶に相対するのに必要最低限な光量で、それがお茶という行為に集中できる場の空気を生み出しているように感じました。はじめてのお茶だったので、緊張していたのですが、間接照明の灯りだけ照らされている状況は、その場の人たちとの微妙な感覚の共有を生んでいる気がして、緊張感よりも灯りを拠り所にした安心感のようなものがありました。この時に感じたような、灯りが心理的に影響を及ぼす効果についても伝えていけたらいいですね。
私は、縁あって建築家の西沢立衛さんが設計した集合住宅に住んでいます。かれこれ7年になります。ここには店子が5人いますが、顔見知りで会えば挨拶をする程度の間柄です。ただ、オープンな暮らし方ができる建築なので、「あ、今帰ってきたな」「寝ているな」というのがわかるんです。時には、ドアを空けたまま寝ている住民の足がうちから見えます(笑)。窓の配置から、隣家の人が帰ってきて灯りをつけたり、プロジェクターで映画を見ているのも光の揺らぎで分かるので、灯りで人の気配を常に感じていられます。入居してから数年後、「そろそろ引っ越しをしようかな」と思い立ち、別のマンションの内見に出かけたことがありました。そこで初めて気がついたのですが、一般的にはマンションやアパートはドアを閉めると、隣の人の気配は感じられないのですよね。プライバシーの観点からすると当然ですが…。ただ、3年間常に人の気配を感じながら生活をしていたので、それをまったく感じない生活空間を体感した時、「無理かも…」と思ってしまって。この実体験で、「建築が人の感覚を変えるってこういうことなんだ。建築ってすごい」と改めて思い知らされました。それを西沢さんに話したら笑っていらっしゃいました。今生活している場所は、開口部がとても大きいので、プライバシーがないともよく人から言われますが、生活する人同士の視線がぶつかり合うことはほとんどありません。建築が距離感をつくり、灯りなどによってなんとなくそこに人がいる気配を感じさせてくれます。たぶん壁の厚さや窓の位置を緻密に計算されているからだと思うのですが、包まれているような安心感があります。私にとって、間接照明とは、その安心感に繋がる、人が生きている証や優しさを伝えてくれるものです。建築と灯りが、人と人との関係性を改めて気づかせてくれたのかもしれません。
interview 日本間接照明研究所
writing 阿部博子
略歴 | 1998年 | 日本大学理工学研究科 修士課程修了 | |
1998年より | 新建築社 | ||
1998-2008年 | 「新建築」編集部 | ||
2008-2014年 | 「新建築 住宅特集」編集長 | ||
2014年より | 「新建築」副編集長、「JA」編集長 | ||